陸前高田について 文/木田 拓雄 絵/藤井 一士 

奇跡の木 陸前高田は三陸海岸に面しています。
 世界の三大漁場の一つである三陸沖から、宮城と岩手の県境を目指して近づくと、船は自然に広田湾に吸い込まれていきます。その湾の最深部にあるのが陸前高田です。
 広田湾には気仙川が注ぎ込み、その川によって気仙町と高田町に分かたれています。気仙町の隣はもう宮城県。陸前高田市は岩手県の県境の町です。
 
 東北地方にしては珍しく温暖な地で、ほとんど雪が降りません。陸前高田の人々は、自分たちのふるさとを「岩手の湘南」と呼ぶくらい温和な風土です。そのため夏には海霧が発生します。
 
 湾は長く美しい海岸線をもち、その後方に平野が広がっています。この平野は、山が海に迫るリアス式の三陸海岸で最大級の広さです。弓状の湾をなぞるようにJR大船渡線が走り、陸前高田にある5つの駅で、それぞれの海の景観が楽しめます。2011年3月11日の震災と津波で、路線の4つの駅が流出してしまいました。その中の1つ陸前高田駅から、湾のほうに向かって進むと、有名な「高田松原」にいたりつきます。
 
 広田湾では、鮮やかな椿の花が咲き、耳をすませばウミネコの鳴き声が聞こえます。いずれも、陸前高田の名物です。
 無防備の広い平野と、広田湾に流れ込む、気仙川をはじめとする4本の川が逆流したためでしょうか、東日本大震災によって陸前高田は壊滅的な被害を受けました。2万5千人足らずの人口のうち、死者・行方不明者は2394人を数えます。



高田松原について
 高田松原は2kmにおよぶ、弓状の長い海岸線の背後に広がる松林です。東の端には浜田川が流れ、西の端には気仙川が流れています。2本の川に挟まれた広大な松原は、350年もの長きにわたり、強風や塩害、砂害を防ぐばかりでなく、津波への防波堤となり陸前高田の人々を守ってきました。

 高田松原の植栽がはじまったのは、1666年ごろです。その後、二人の豪商の10年以上にわたる献身的な努力と、町の人たちの協力によって およそ7万本のクロマツ、アカマツが群生する松原が完成しました。
 松原がないころ、立神浜と呼ばれていた陸前高田は、荒涼としていました。海から吹く強い風によって、田や畑は砂に埋もれ、また大波や津波の被害でたびたび凶作に見舞われ、人々の暮らしは苦しいものでした。しかし高田松原の完成によって、大地は肥え、動植物が集まり、陸前高田は豊かで美しい町に変貌したのです。

 高田松原は、森林浴や海気浴、ジョギングや海遊びを楽しむ場として、市民に愛され親しまれてきました。県外からの観光客も年間70万人を超え、陸前高田有数の観光地となりました。この地は幾度となく津波に見舞われましたが、高田松原は明治、昭和の津波に耐え、チリ沖地震による津波にも耐えました。
 しかし、2011年3月11日の大津波は20mの高さにまで達し、高田松原を飲み込み、とうとう1本の松を残し、白砂青松の景勝地を壊滅させてしまったのです。
 この1本の松は、「奇跡の1本の松」と呼ばれ、復興のシンボルとなりました。


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